この記事の内容は、うさぎの主観がメインとなります。そのため、一般的な解釈や作曲者の意図とは必ずしも合致しません。ご理解いただける方のみお読みください。
導入
というわけで上野の東京文化会館に来ました!
今日は都響(東京都交響楽団)の定期演奏会に来たんだよね。
指揮者は都響の桂冠指揮者でもあるエリアフ・インバル氏です。かなりお年を召してきましたが、それでも都響と共演する時は毎回爆発的な演奏を見せてくれるので、今回も楽しみです!
ショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」は演奏機会のあまり多い曲ではないけれど、私たちは10月にN響(NHK交響楽団)の演奏を聴いたばかりだよね。
そして、なんと昨日(11月10日)は東響(東京交響楽団)も交響曲第11番「1905年」を演奏したみたいだよ。
間違えやすい「東響」と「都響」
東響(とうきょう):東京交響楽団
(Tokyo Symphony Orchestra)
都響(ときょう) :東京都交響楽団
(Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)
週末の11月16日(土)には続編でもある交響曲第12番「1917年」の演奏もありますし、空前のロシア革命ブームですね!
いや、そんなブームは来ていないし、来なくていい。
ひーん…… でも、各楽団で偶然の一致とはいえ、比較的マイナーな曲がここまで短期間で立て続けに演奏されるのは凄い出来事ですよね。
音楽ファンに言わせれば、聴き比べをするのにピッタリってやつだね、贅沢な悲鳴だよ。それがきっかけで知名度が上がって、演奏機会も増えるかもしれないしね。
東京文化会館
感想
以下、感想合戦です。
1曲目
チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
1曲目はチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」でした。私たちは9月のN響富山公演で聴いたばかりですよね。
そういえばそうだったね。9月に聴いた時は、演奏が始まった瞬間に一気に暗黒のムードに飲み込まれるような感じだったけど……
それと比べると、今日は幾分さっぱりした感じでしたね。照明が明るめだったこともあり、冒頭の部分はまるでオペラの序曲を聴いているかのような感じでした。
そして第1幕…… もとい、第1部が始まって、少しずつ地下の劇場に続く階段を降りながら、徐々に物語の世界に引き込まれていくような感覚がしました。
そして、視界が開けた瞬間にクライマックス! 主人公の2人が殺されてしまう場面が目の前に見えるではありませんか! もういきなりショッキングですよ……!
あらすじではまだ死の場面ではないんだけれど…… でもまぁ、開けたらいきなり修羅場でした、という感じだったのはよく分かる。
そして第2幕…… もとい、第2部に場面が移ると、どこからか小川のせせらぎが聞こえてきました。のどかな場面です。
今日のプログラムには「2人の霊がダンテに身の上を語る」って書いてあったよね。
なので死んでしまった後に、霊になってふよふよ浮いている場面のように今日のわたしには見えたんですが……
一般的には「死」はその後の場面だと言われているよね。まぁ好きなように解釈すればいいと思うけど。
この曲は実際のあらすじ書きと比べて、演奏によって見える情景が全然違うことが多いので難しいです。
そして、死んでしまって現世のしがらみから解放された結果、主人公の2人はようやく誰にも邪魔されずに幸せになれることに気付きます。死んでようやく結ばれる、っていうのは美しい物語の定番ですよね……!
今日は全体的にさっぱりめの演奏だったけれど、このシーンはしっとりと情熱的に描いていたよね。
しかし、「眠れる森の美女」ならこの後は結婚式でハッピーエンドなんですが、この「地獄篇」ではそうはいきません。地獄の使者が扉を叩く音が聞こえます。
そして物語は第3幕…… もとい、第3部へ突入します。世界が暗転して、気が付くと地獄の底に投げ込まれていました。
再びのクライマックス……! 主人公に襲い掛かる地獄のテーマ! 破滅、神罰、ナムアミダブツ……!
こら、語感だけで言葉を選ばないの。
いたた、グーで叩かないでください…… そして、その後のエンディングの部分では、まるでオペラ「エフゲニー・オネーギン」終盤の主人公オネーギンの姿が見えるようでした。
つまり、もう時計の針は戻せないという苦しみ、この先に待ち構えている絶望に、主人公がのたうち回っている姿がまじまじと見えるようでした……
地獄には深入りせず、まるでオペラのように、ひとつの劇として演奏しきった感じだったよね。スタンダードな表現の中にしっかりと熱い描写も盛り込んできて、最後は引き締めるようにびしっと終曲。
9月のヤルヴィN響の演奏がトラウマ級の怖さだったので、今日もどうなることかと正直ヒヤヒヤしていたんですが…… こういう感じの描写もいいですね。まだ平静を装って見ていられます。
ヤルヴィN響の描写は、地獄度MAXでえげつなかったからね……
2曲目
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」
後半はお待ちかね、ショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」です。「血の日曜日事件」を中心に、ロシア第一革命の顛末を描いた大作です。
関連リンク
ロシア第一革命 - Wikipedia10月の記事と同じことを聞きますけど、日露戦争で消耗させられたこともロシア第一革命の一因になったんですよね。
そうとも言われているね。そうして不満の溢れた首都サンクトペテルブルクの民衆に対して、軍隊が大規模に発砲したのが、曲のモチーフにもなっている「血の日曜日事件」。
じゃあいつも通り、わたしの見た景色を物語形式で展開していいですか?
どうぞ。
第1楽章、「冬宮殿のテーマ」とでも呼びたくなるような特徴的なテーマで静かに始まりますよね。今日も開始早々、うっすらと雪の積もった冬宮殿と宮殿広場がはっきりと見えるようでした。
冬宮殿と宮殿広場 (ロシア・サンクトペテルブルク)
そして、今日は普通に暮らす人たちが見えました。生活は苦しいのかもしれませんが、あくまで普通に暮らしているように見えました。
そしてそれとは対照的に、「皇帝のテーマ」から始まる権威的な響きが幅をきかせていて、その裏ではどこかダークな雰囲気の低音が響いていました……
ちなみに「ダークな雰囲気の低音」っていうのは、放っておいたら反乱分子になりそうな感じのやつです。ゲームとかでよくありますよね、早めに芽を摘み取っておかないと後々厄介なことになるやつ。
私はなんとなく分かるけどさ、もうちょっとマシな喩えはなかったのかな?
そして、そのダークな雰囲気の低音を放っておいた結果、第2楽章では見事に反乱分子になってしまいます…… 第2楽章では、実際に声を上げ始める民衆を、民衆の目線で見ているような感じでした。
不満を言い合っているうちにだんだんとエスカレートしていって、これはもう皇帝に直訴するしかない、デモだ、そんな感じで話が進んでいきます。
そして落ち着いて意見を整理した後も、少し時間が経つとまた小さな諍いが起こり、デモ隊が宮殿広場に辿り着く頃には再び大規模な怒りの渦に発展していました。
しかし、皇帝側の反応はなく、民衆は「大丈夫なのか?」と不安げにひそひそとお互いの顔を合わせます。
史実ではこの日の宮殿は、皇帝は不在だったようです。
その後、民衆の代表者が冷静に「我々の願いを聞いてもらえないだろうか」と再び呼びかけます。すると、それに応えるように「皇帝のテーマ」が流れてきます。皇帝側の人間か、あるいは軍隊が出てきたのでしょうか。
そして次の瞬間、どこからか銃を発砲する音が聞こえてきました! 偶発的に起こったものだとは思いますが、それでも宮殿広場に集まった民衆は戸惑います。
戸惑い、不安を覚え、「まだ死にたくない!」と必死に逃げ道を探す…… 全員が全員そのように行動するので、民衆の不安は次々と増幅し、押して押されての大混乱に陥ります。
そして収拾がつかなくなり、総崩れ……! 軍隊も事態を鎮めるために発砲を余儀なくされます! 逃げる者、倒れる者、押し倒す者、押しつぶされる者、文字通りの地獄絵図……!
きっかけは偶発的なものとはいえ、結果的には大規模な発砲を含む大惨事に…… これが「血の日曜日事件」、100年前に実際にあった出来事……
そして曲は再び静まりかえり、誰もいなくなった宮殿広場に「冬宮殿のテーマ」が寂しく流れます……
正確に言うなら生きている者は誰もいなくなった宮殿広場だね…… 生き残った者は逃げ去り、冷たくなった屍のみが雪に埋もれて横たわっている……
小太鼓の音が、まるで雨の音のように聞こえました。サンクトペテルブルクの冬はマイナス何度の世界なので、雨なんて降らないはずなのに。もしくは心の雨でしょうか……?
そして、そのまま鎮魂の第3楽章に移ります。弦のピチカートが、まるで涙が落ちる音のように聞こえました。
みんな、大切な人を失ったわけだから。涙の流れない人なんていなかったんだろうね。
そして、ここでも民衆の追悼の思いはやがて熱い渦となり、まるで「お前たちの無念は俺たちが晴らしてやるぞ」と言わんばかりの熱気に包まれます。そして、また静かになったかと思いきや……
革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」の力強い響きで始まる第4楽章。今日はかなりアップテンポだったよね。
何度聴いても恐ろしい迫力のメロディーですよね。その後も、市民が足並みを揃えて結束するような描写が続きます。
足並みを揃えて、っていうのが重要なんですよね。「血の日曜日事件」では不安に押しつぶされて各々が逃げ出してしまった結果、人の波が決壊してしまったわけですから。まるで「労働者らよ、団結せよ」。
だから次こそは革命を成し遂げるべく、市民はより強く一致団結して気力を高めます。「悪しき軍を破れ」「弾丸を以て追い詰めよ」!
……その歌が出てくるのは、もう少し後の時代だと思うなぁ。
関連リンク
参考:うさぎが歌おうとしていた歌の元ネタそして、勢いよく決起した後、ふたたび静かな「冬宮殿のテーマ」に戻ります。うっすらと雪の積もる宮殿広場……
「血の日曜日事件」から、実に12年の月日が流れていました。かつての出来事をなぞるように、木管楽器がそれらのテーマを奏でます。
そして、少しの沈黙を置いた後、ついに市民が決起します! 12年の歳月を経て、再びの本格的な決起、「どんどん進め」と言わんばかりに鐘も鳴り響きます。
そして、市民が帝国に襲い掛かるところで、この物語は終わります。顛末や如何に……
のちに「二月革命」と呼ばれることになる出来事だね。結果は革命成功、ロシア帝国は終わりを迎えることになる…… 今回の終わり方は、私も同じような景色が見えたよ。
というわけで「民衆の感情が爆発!」って感じの演奏でしたよね。民衆の目線で物語を追うことができて、なかなか勉強になりました。
続きの曲である交響曲第12番「1917年」は、ちょうど「二月革命」の後の出来事である「十月革命」の曲だから、そういう意味ではピッタリな流れが見えたな。
インバル氏ってなかなか爆発的なイメージがあるんですが、演奏で表現するもの自体はそこまで奇をてらわず、かなり「正統派」なものを見せてくれますよね。教科書どおりでイメージしやすいです。
それが「巨匠」呼ばれて今なお多くの人の支持を受ける理由なんだろうね。若い頃のインバルを知らないのが少し惜しいよ。
はー、どっと疲れた…… やっぱりショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」は、交響曲第7番「レニングラード」と並ぶ大作ですね。映画「シン・ゴジラ」を爆音上映で見たような気分です。
こら、オタクにしか通じないような比喩は止めなさい。
前半がさっぱりしていたのでどうなることかと思いましたが、後半の交響曲第11番「1905年」はガンガン爆発させてきて、スペクタクルで面白かったですよね!
都響のお客さんも相変わらず盛り上がっていたよね。例によって一般参賀もあったし。
一般参賀
終演後、オーケストラのメンバーが退場しても拍手が鳴りやまず、指揮者だけ再び舞台上に戻ってくること。都響の演奏会では割とよくある現象。
あと、先述したとおり週末の11月16日(土)には、交響曲第11番「1905年」の続編でもあるショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」を同じコンビで演奏予定なんですよね。楽しみです!
交響曲第12番「1917年」は、交響曲第11番「1905年」よりも演奏機会が少ないレア曲だから、私としても楽しみだよ。まだ生で聴いたこと無いしね。
あと、今日は結果的に2曲とも、直近に聴いたN響との聴き比べになっちゃったのが正直しんどかったです。どうしても比べちゃいますし……
一概に「どっちの方が良い」という比べ方じゃなくて、どっちも良い、という前提の上でどこがどうだったかまとめるといいよ。そうじゃないと、どっちが強いみたいな話になっちゃうし。
なので、わたし的には前のイメージが抜けるまで最低でも半年くらい空けたいですね。でもレア曲の演奏機会があると飛びついちゃうジレンマ……
東京都交響楽団 第890回定期演奏会A
2019年11月11日(月) 19:00開演
東京文化会館 大ホール
指揮:エリアフ・インバル (Eliahu Inbal)
チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」