この記事の内容は、うさぎの主観がメインとなります。そのため、一般的な解釈や作曲者の意図とは必ずしも合致しません。ご理解いただける方のみお読みください。
導入
というわけで上野の東京文化会館に来ました!
今日は都響(東京都交響楽団)の演奏会に来たんだよね。
我々にとっては年明け一発目のコンサートですね。今年もよろしくお願いします。お年玉ください。
ないよ。今年もよろしくね。
それはそれとして、今日は指揮者もソリストも作曲家もすべてフィンランド人というかなり攻めたプログラムです! 都響らしくて素晴らしいですね!
指揮者のヨン・ストルゴールズ(ヨーン・ストルゴーズ)は、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者などを務めたこともあり、世界で活躍するフィンランド出身指揮者のうちの1人だね。最近だと2018年に読響(読売日本交響楽団)とも共演していたね。
媒体により表記揺れがありますが、本記事では主催者発表のものではなく記事執筆時のWikipedia記事名のものを表記として採用しています。
さらに、ソリストでペッカ・クーシスト大先生まで来日しています。フィンランドを代表する世界的なヴァイオリン奏者で、まだお会いしたことがないので楽しみです。一般人の方には、新作ムーミン(2019年版)の音楽担当の人って言うと比較的わかりやすいかと思います。
東京文化会館
感想
終演後
というわけで感想合戦です。
1曲目
ジャン・シベリウス:
「カレリア」序曲
有名な「カレリア」組曲ではない方だね。もともと劇音楽として作られた「カレリア」の序曲。
カレリア地方はフィンランド人のルーツとも言われ、心の故郷とも言われています。ロシアの帝都サンクトペテルブルクに近かったことが災いして、その東半分は20世紀半ばにソビエト連邦に割譲されてしまいましたが……
カレリア地方
関連リンク
カレリア - Wikipedia少し前までは特急アレグロ号という列車でカレリア地方の東西を簡単に往来できたんですが、2022年に起こったあれやこれやの影響でフィンランドとロシアを直通する列車が廃止になってしまったのは悲しい話…… 今日はその話は深堀りしませんけど。
暗い話は置いておいて…… 今日の「オールフィンランドプログラム」の導入としてはぴったりの曲なんじゃないかな。
曲の印象としては、まずはカレリアの緑豊かな風景を連想させられます。とはいえ涼しさとかは全くなく、みどりみどりしているのが前面に出ている印象です。
その先は、活気溢れるカレリアの雰囲気を感じました。人々の生活とでも言えばいいんでしょうか。
あのあたりは当時もかなり賑わっていたからね。フィンランドとしては、という枕詞がつくけれど。
よく考えたら、元々が劇音楽なので人々の営みを描くのは当然ですね。シベリウスの作品でそういう雰囲気が伝わってくることってあまり多くない気がしますけど。
2曲目
ジャン・シベリウス:
ヴァイオリン協奏曲
2曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲。交響曲第2番や交響詩「フィンランディア」と並んで、シベリウスの楽曲の中で最も演奏機会の多い曲だね。
わたしが最初にこの曲を覚えた時の音源がペッカ・クーシスト大先生とヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だったので、今日はとても感慨深いです。今日はヘルシンキフィルじゃなくて都響ですが。
あと、ペッカ・クーシスト大先生の衣装が完全にスナフキンなんですよね。どこまで意識してるか分かりませんが、緑に塗って帽子を被せたら完全に一致しますよ、あれ。
大先生を近くで見たいがために1階前列の席を取ってしまったので、今日は純粋音楽的な見方しかできませんが…… 第1楽章の「悠然と滑空する鷲のように」のところは、どこか暗澹とした雰囲気の中を彷徨っているようなイメージでした。どこか寂しげにも映ります。
第2楽章では、始まる時にまるで鎮魂かのような厳かな雰囲気を醸し出しているのが印象的でした。その後は、なんとなく空の方を意識していたような印象です。
第3楽章では、風に乗ってついに「飛んだ!」というのが分かりました。オーケストラの演奏に乗って気持ちよさそうに飛ぶ…… 特に終盤は楽しそうに、かつ気持ちよさそうに演奏していました!
……って、全部ペッカ・クーシストを見た感想じゃん!
いやあ、大先生が素晴らしかったので仕方ありませんね。シベリウスのヴァイオリン協奏曲をここまで素晴らしいと思ったことはありませんし、それこそ今日の演奏は生涯忘れられません。
ソリストアンコール 1曲目
フィンランド民謡:Kopsin Jonas
アンコールはフィンランドの伝統的な民謡を演奏してくれました。1曲目はまるでカンテレの音色で聞こえてくるような、まるでカレリアの劇中の世界に出てくるかのような曲でした。
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カンテレ - Wikipediaソリストアンコール 2曲目
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番よりメヌエット1
+
フィンランド民謡:Elia
2曲目はちょっと分からないと思ったらバッハも混ざってました。
アンコールを2曲もやってくれるのは気前がいいね。それに、今日のお客さんはフィンランド成分を浴びに来た、というのがよく分かっているような選曲。
でしょう? 大先生は素晴らしいんですよ。
わかったから、その顔やめろ。
3曲目
レーヴィ・マデトヤ:
交響曲第2番
3曲目はレーヴィ・マデトヤの交響曲第2番。マデトヤはシベリウスに師事した20世紀初頭の作曲家だね。この曲が完成したのは1918年のこと。
1918年って、一般的には第一次世界大戦が終わった頃ですが、フィンランド的にはロシア革命に伴って独立宣言したのちに内戦が勃発したあたりの時代ですよね。
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フィンランド内戦 - Wikipediaマデトヤ自身、この曲が完成する数ヶ月前に、まさにそのフィンランド内戦で兄を亡くしているんだよね。さらにその1ヶ月後、親しい友人であり兄弟子でもあったトイヴォ・クーラも銃撃により帰らぬ人となってしまう。
おお…… Wikipediaには「皮肉なことに、『Kuula』とはフィンランド語で弾丸を意味する」とか書いてありますが、当人としては実の兄と音楽家としての兄を同時に失ったわけですから…… 激動の時代ではありますが、こんなの絶望以外の何物でもないじゃないですか。
もちろん本人も思うところはあったと思う。それを音楽の向こう側に見出そうとするかどうかは、聴く人の判断に委ねられるわけだけども。
さて、わたしの雑感ですが、第1楽章はまるでシベリウスの交響曲第2番や交響曲第3番のような牧歌的な雰囲気で始まりますよね。それでいて、同じく交響曲第6番の第1楽章のような疾走感のようなものもある。
美しい響きながらも綺麗になりすぎず、時々モダンな響きも混ざる。そこからは人の営みのようなものが見えました。「カレリア」序曲と同じですね。
そして休みなく始まる第2楽章は、かなりおとなしい雰囲気になります。パンフレットには牧歌的とか田園的とか書いてありましたが、そこまでぼっかぼっかしているようには感じませんでした。
おとなしいながらも少し騒ぐような、北フィンランドの川って言われるとなんとなく腑に落ちるような気もします。Kemijoki(ケミ川)くらいしか知りませんが。
しかし、それでは説明のつかないような重々しい雰囲気が時折混ざります。仮にも緩徐楽章なのに。それって何なんだろう、っていうのが分からなかったんですが……
当時のフィンランドから見たロシア帝国が、まさにあんな感じの雰囲気に重なるんですよね。19世紀終盤から独立にかけて、まさにマデトヤが育ったような時代。
ロシア帝国のロマノフ朝はちょうど1917年の2月革命で打倒されるわけだけど、それまで実に100年ほどロシア帝国の影響下にあったわけだよね。ちなみに、その前はずっとスウェーデンの影響下で、フィンランドの地位自体はそこまで変わらない。
そして、とても激しい地鳴りとともに始まる第3楽章。この曲が「戦争交響曲」と呼ばれるのは主にこのあたりのせいです。そこから意識を遠ざけようとしても、どうしても世界大戦や内戦に意識が行ってしまいます。
平穏だった場所が戦場となり、そしてそれらの情勢に振り回されるつつ日々を生きる人々、それらの描写が繰り返されるようです。
そして、それらがおさまると同時に継ぎ目なく第4楽章が始まります。大人しい雰囲気ではありますが、鎮魂歌というよりは懐古の雰囲気があります。
楽しかった日々、大変だった日々も、戦禍に巻き込まれ大切な人を失ったことも…… それらはすべて「思い出」である、とでも言わんばかりの。
今の我々にとって、そのような100年以上も前の出来事は「歴史」の1ページでしかありませんが、作曲当時の人たちにとっては「歴史」ではなく「思い出」であり、もっと言えば「人生」の1ページなんですよね。そんなことを感じる、短いながらも綺麗な第4楽章でした。
全体を通して、やや盛りすぎな箇所もいくつかありましたが、それ以上に色々なことが伝わってくるような素晴らしい曲でした。
そうだね。この曲を聴くだけでも、マデトヤがオペラの領域においてシベリウスを凌ぐ名声を築いた理由がよく分かる気がするよ。オペラ向きの雰囲気とでも言うべきか。
欲を言えば第3楽章と第4楽章がやや短めなところが勿体ないですね。それもそれで良さを引き立ててるとも言えますが。どちらにせよ、すばらしい作品だということに変わりはありません。
大先生の出待ちをしたいところですが、感染症対策とか色々あるので今日は大人しく引き下がります。
まだ言ってるのか…… というわけで、今日はどうだった?
今日はフィンランドプログラムということで、おやつにシナモンロールを持ってきたんですが、新幹線の中でうっかり食べ忘れてしまったのでおなかがすきました。
今年も相変わらずレベルの低いことやってるな。
あと、ストルゴールズさん想像よりも大きかったです。主におなかまわりと言いますか…… なんとなくセーゲルスタムみも感じますね。
こら、セーゲルスタムを形容詞として使うな。あそこまで大きくないでしょ。
ユキさんも相当失礼なこと言ってますからね?
さて、2022年に起こったあれやこれやの影響でフィンランドとロシアの国境を往来するのが大変になった話が出たけれど…… 何の因果か、今日は都響がフィンランドプログラムをやっている裏で、N響(NHK交響楽団)がロシアプログラムをやっているんだよね。
「同時にやってたら結局往来できないじゃないか!」と思うところですが、N響の定期公演は連日開催で、今日行けなくても翌日も同プログラムなので、そういう意味ではハシゴ可能なありがたい仕様ですね。というか明日行きます。
昨今の国際情勢の影響で、わたしの特に親しい2ヶ国同士の隔たりが深まってしまってとても悲しいですが、こうして音楽の世界ではそこからある程度切り離されて比較的自由に往来できるのが幸いです。音楽はいいですね。
音楽は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。まぁ、音楽の場合は時代も超越するからね。特に百年単位で昔から演奏されてきたクラシック音楽の場合は、そこに現代の出来事はあまり関係ない。
ある種のタイムカプセルというか、タイムマシンのようなものですよね。とはいえ、今回のマデトヤのようなフィンランド内戦の時代や、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」のような時代にはあまり行きたくないのが本音ですが……
そういうのも踏まえると、先日の記事でも言いましたが、世界がより平和に近づく年になるといいですね。今の時代に「穏やかさ」がないと、それらのタイムカプセルを娯楽として楽しむこともままなりませんし。
COVID-19の流行に伴う演出上の注意
演出上の都合のため、登場キャラクターはマスクやフェイスガードを着用していませんが、実際にはワクチン接種やマスク着用などの感染症対策を十分に施したうえで訪問しています。
東京都交響楽団 第966回定期演奏会A
2023年01月20日(金) 19:00開演
東京文化会館 大ホール
指揮:ヨン・ストルゴールズ (John Storgårds)
ヴァイオリン:ペッカ・クーシスト (Pekka Kuusisto)
東京都交響楽団
シベリウス:「カレリア」序曲
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
マデトヤ:交響曲第2番